2011年04月05日

避難所で24時間寄り添う 全国から災害支援ナース


停電時にノートパソコン等の小型家電を6時間程度動かすことができます。

 阪神大震災の教訓から発足した「災害支援ナース」が全国から集まり、24時間態勢で被災者に寄り添っている。「せっかく助かった命が、避難所で消えるのは耐えられない」。長引く避難生活で高齢者に感染症が広がるのを心配し、宮城、岩手両県の避難所を中心に泊まり込んでいる。

 約400人が避難する宮城県石巻市の住吉中学校の教室。看護師の坂井恵美子さん(40)が、毛布をひざに何枚も重ねた80代の女性の横にしゃがみ込んだ。

 「悲しみばっかなんだ。戦争と地震。戦争のときは若かったから、みんなでがんばった。でも今回はしんどいの」

 独り暮らしだった女性は津波の被害で自宅に住めなくなった。坂井さんは女性の背中にそっと手をあてた。女性が涙をぬぐい終わるまで話を聞いた。

 「何かお手伝いできることあったら言ってね」

 別の教室では、足の悪い80代の女性に、同僚の水谷由香里さん(46)が、トイレに連れて行ってもらうのを遠慮しないで水分をきちんととるように話していた。「もう帰っちゃうの」。毎回尋ねる女性に水谷さんは「夜もずっといるよ」。女性は両手で水谷さんの手を握り、「どうもね、どうもね」と何度も頭を下げた。

 坂井さんと水谷さんは愛知県の名古屋掖済会(えきさいかい)病院の看護師。日本看護協会の「災害支援ナース」として3月26日に被災地に入った。住吉中の保健室に3泊4日で泊まり込み、巡回医師団の診療の手伝いのほか、避難者の健康相談にのり、衛生面のアドバイスをした。

 ガスと水道どころか、当初は電気もなかった避難所の夜は早かった。日が暮れ、真っ暗になった保健室に懐中電灯の明かりをともすと、「ひどい下痢をしてしまった」「悪寒がひどくて眠れない」「おかしなせきが止まらない」と夜中にも避難者が訴えてきた。話を聞き、必要な場合は病院に搬送してもらった。担当した3日間で2人が救急搬送された。

 住吉中は津波でひざの上まで水につかり、しばらくは電話も通じなかった。避難者には高齢者が多く、毎晩、2、3人はひどく体調を崩した。そのたびに、学校に泊まり込んでいる教職員が、懐中電灯を手にがれきの中を消防署まで10分走り、救急車を呼んでいた。

 ところが震災から約10日たって、看護師が常駐すると、救急車を呼ぶ回数も2日に1回程度に減った。泊まり込む末永幸一校長は「安心感が違う」と話す。

 災害支援ナースは発足後4回目の活動で、初めて避難所を中心に活動する。病院の被災も多く、医療や介護の必要な高齢者が避難所で過ごしているためだ。

 宮城県内の観光バスが全国から東京に集まった看護師を乗せて避難所に順に降ろしていく。4日現在で、宮城県の避難所17カ所に55人、岩手県の避難所3カ所と病院4カ所に40人。これまで被災地入りしたのは340人にのぼる。3泊4日ごとに交代する態勢で、1カ月は続ける予定。約千人が活動する方針だ。

 仙台市の前線本部でコーディネーターを務める看護研修学校教員の石井美恵子さん(48)は「たくさんのことができるわけではない。でも、今は、そばにいることができれば」と話している。(上田真由美)

    ◇

 〈災害支援ナース〉 1995年の阪神大震災後に、日本看護協会が作った制度。救急医療の優先度を判定する「トリアージ」や応急処置、心のケアなどの研修を受けた看護師4800人余りが登録されている。これまで2004年の新潟県中越、07年の能登半島、同年の中越沖の3地震で、同協会が被災地に派遣。主に医療機関で活動してきた。


posted by 北海道頑張れ at 05:45| 支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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